〔2021/06/14〕第9回 自我(自己意識)論④ 「私のなかの概念の形成と崩壊」
〔2021/06/14〕第9回 自我(自己意識)論④ 「私のなかの概念の形成と崩壊」
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①新たに発見した事実〔一つで結構です〕とその考え方、
②それについての従来の自分の考え、
③自分にとっての「新しさ」の理由、
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また、講義メモを読んで、質問したいことを書いてください。
《前回の授業コメントより》
*自己中心的言語と内言
私が今回新たに発見した事実は、自己中心的言語が自己に向けられた思考のことばであり、内言と同じような役割を果たしているというヴィゴツキーの考えです。また幼年期の遊びが内言、論理的思考、抽象的思考の発達に大きな影響を与えるという事も新たに知りました。
私自身はピアジェと同様、社会性の向上が自己中心的なことばの減少や、内言の増加に起因していると考えていました。また自己中心的ことば自体は、主に外部に向けられるものだと思っていました。そして社会性が向上し言語が豊かになることによって、複雑な遊びが出来るようになるとも考えていました。
しかしヴィゴツキーのこのような考えを知り、大人にとっては自己中心的にとらえらえることばが実は子ども自身が思考を行っていくためのものであり、子どもにとっては遊びが内言の発達の面で大きな役割を果たしているという考えを持つことができました。これが私にとっての新しさの理由です。
*概念的思考と自他について
①私が今回授業で新たに発見したことは13歳の危機において自分の内面に入り込むと共に、自分の意識の中で自己と他者とが二つに二分化され、自己意識の形成にあたって、その中心に概念的思考を置くようになるということである。
②これまで13歳頃は思春期が始まり、他人のことをよく見るようになって他人と自己を比べてしまうことで完全に二分化しているのだと考えていた。
③しかし実際は周囲の人は自己を表現し、自己を実現していくきっかけなどになる存在となることで自分の外に永続的に存在するものとしたということを知り、自我の形成と社会的自己についての理解を深められた。
*遊びの内言等への移行
①今回新たに発見した事実は「学齢期になると遊びは内的過程に、内言、論理的記憶、抽象的思考に移行する」というものです。3歳から7歳にかけて特徴的な「自己中心的言語」が減少する理由は、ピアジェとウィゴツキーで分かれており、社会性の増大や言葉の内言への成長が自己中心性の減少に当たると挙げられていました。
②これまでの私は幼児期の「自己中心的言語」の減少は、ピアジェと同じく社会性の増大によって起こると考えており、ウィゴツキーの提起した自己中心的言語は「自己に向けられたことば」であり、機能的には「思考のためのことば」であり内言と同じような機能を持っていいるという考えは非常に興味深いものでした。
③幼児期の遊びの中で、言語の役割が強められることで「内言」が成長することや、子どもが感じていることや考えていることなどの「内面」が直接的に外面に映し出されることなど、今まで外側に出していた感情や言葉が段々と内側で表せるようなってきたり、まだ外面が「見える」状態になってしまうことなど、自我の発達が即自的、対他的に変化していくことが、非常に新しく感じられました。
*質問
3歳から7歳における子どもの独り言に対し、大人は聞き返したり何か反応してあげると良い事などあるのでしょうか。逆に大人はその独り言を気にせず放っておくことは、子どもにとってなにか悪い影響を及ぼすことはあるのでしょうか。
〔子どもの独り言に大人も関心をもち、何をもたらしているのかを理解しようとする努力が求められると思います。〕
3歳ごろに弟や妹ができた場合その存在をどう認識するのか気になりました。
〔いわゆる「赤ちゃん返り」ということが普通に見られます。たとえば、赤ちゃん用のベッドで横になることなど1度はしてみたいと思うものです。多くの場合、1度横になるとそれで満足するのか、もうしなくなるようです。〕
「意志薄弱反応」は3歳児に典型的によく見られ、大人に「○○をしなさい」と言われることにより、子どもがしたくてもできない状況、自分自身の意思が薄れてしまうと書いてあるが、 3歳児の子どもに何かをしようと誘う時にベストな誘い方は、タイミングはありますか?
〔たとえば、靴を自分ではく、という場合、複数の靴を並べて、好きな方を選ばせる、というのも、1つの誘い方でしょう。〕
7歳の危機に関して子どもに限らず大人にも思っていることがすぐ顔に出てしまう人がいますが、彼らもまた内面と外面との分離が上手くいっていないということなのでしょうか。
〔「大人らしくない」という見方も成り立ちますが、他方では、「自分の気持ちに正直だ」という見方もなりたちます。お互いのものの捉え方の「ゆったり感」がほしいところですね。〕
《講義メモ》
はじめに
人間は、何らかの機能や機能間の関係(心理システム)、人格が発達するのと同じ道を(逆向きに)通って、それらが退行し崩壊していく、つまり、発達と崩壊とを同時に考察してこそ、人間発達というものを真に理解することができる、ということを述べたいと思う。自我、自他の関係の発達もまた、同時に、それらの崩壊を捉える必要がある。
そのときに重要になるのは、少年・少女期における概念形成を中心とした発達の検討と、概念の崩壊をもたらす精神疾患の事例の検討である。失語症などのことばの変調とその心理機能等への影響、統合失調症における幻覚・妄想・つじつまの合わない発話などの心理的現れの理解などが、発達と崩壊を理解することに繋がる。
まず、精神医学が本質的にもつ「人間性」について指摘しておこう。村井俊哉『統合失調症』(岩波新書、2019/2020=電子書籍版)第7章には、統合失調症についての精神医学の歴史が簡単に書かれている。エミール・クレペリン(1856−1926)、オイゲン・ブロイラー(1857−1939)、カール・ヤスパース(1883−1969)、クルト・シュナイダー(1887−1967)が精神医学を発展させてきた人たちとして取り上げられている。
そのうち、精神医学のもつ「人間性」について、ヤスパースとシュナイダーの考え方を紹介しておこう。
ヤスパース(『精神病理学原論』西丸四方訳、1913//1970、みすず書房)―「精神医学の実地で行われることは、いつも一人一人の人間全体を問題にすることである」。どのな場合も「人間全体を取扱うのである」。そのために、精神科医は「精神病理学を通じて、一般的な概念や規則を知っていなければならない」。(「緒言」、p.13)。
シュナイダー(『臨床精神病理学序説』西丸四方訳、1934/1936//1977、みすず書房)―精神医学の「第二の任務は既に存在する精神病者を医学的に治療し、あるいは社会的に処置することであって、この場合には精神病者を単に畸形物、出来損ないとみなすのではなくして、理解や保護や愛を要求する権利ある一個の人間とみなすのである」(p.3)。これはナチス統治下における発言である。
I ヴィゴツキーが指摘する「高次心理機能の発達と崩壊」
【低次心理機能と高次心理機能との区別と連関】
ヴィゴツキーの人間発達論の特徴の1つは、発達は上方に向けて進むが、それと同じ道を逆向きに退行する「下方への逆発達あるいは退行、崩壊」をあわせて提起していることである。それは何よりもまず、ことばが関与する「高次心理機能」の発達と崩壊としてあらわれている(ヴィゴツキーは後述のように統合失調症の考察に際して、概念〔あるいは概念的思考〕の発達と崩壊とを中軸におきつつ、心理システムそのものの発達と崩壊と、捉えるようになった)。
(i) 高次心理機能が低次心理機能と異なるのは「補助手段」が関与していることである。前に述べたように、丸暗記する記憶(自然的記憶)に対して「補助手段」(たとえば絵カード)による記憶(文化的記憶、媒介的記憶)が存在する。この「補助手段」は、より一般的に言えば、「ことば」である。
(ii) 「ことば」があまり関与しない心理機能から「ことば」が大いに関与する心理機能への発達またはその逆向きの動き(逆発達、後退、崩壊)は、脳の二重構造に由来する。皮質下の中枢と皮質中枢(ことばの機能など)の二重のコントロールである。
(iii) それがくっきりと現れているのは、情動(より正確に言えば、情動と知性の変動的関係)であり、失語症のようなことばの変調であり、統合失調症などの精神疾患である。
(iv) それらを大きくまとめたものに、ジャクソンらの層理論(成層理論)がある。
【層理論(成層理論)】
層理論は、「上層は高級で下層は低級であり、精神神経病のときには上層の働きがなくなり、下層の働きがあらわれると考える。上層は抑制、調節をしているものであり、下層は盲目的発動力である」〔西丸四方編(1974/1985), 臨床精神医学辞典、南山堂〕、と問題を二重に捉えている。上述のように、ヴィゴツキーはこれを上層への発達と下層への崩壊として統一的に捉え、しかも、心理システムそのものの「発達と崩壊」と考えたのである。
【ヴィゴツキーによる、情動や精神疾患の解釈の土台にあるもの】
ヴィゴツキーは、情動の生理学的研究のなかではキャノンの理論を肯定的に評価したが、その評価へと導いたものは、おそらく、ジャクソン(John Hughling Jackson, 1835-1911)の次のような考え方であろう。
「ジャクソンによれば、神経系の組織は高次中枢と低次中枢の複雑なヒエラルヒーであり、そこでは、高次中枢のより分化し繊細な形態の活動を何度も乱すことのできるような脳の古い部分の原始的・古代的諸機能は、高次中枢の側からの抑制的影響を受けているが、それ故に、ノーマルな条件のもとでは能動性を自由に発揮して行動において支配的な役割を演じることはできないのである。あれこれの条件のために低次中枢に対する皮質的コントロールが弱まるか、まったく消失するときに、以前には従属クラスであった低次中枢は自立的になり、自由に作用するようになるが、そのために低次中枢の非随意的で極度に集中的な能動性が現れることになる。きわめて弱い刺激でも、こうした条件のもとでは、極度に過剰な反応をひき起こしうるのである。」(ヴィゴツキー『情動の理論』神谷他訳・三学出版、1933 /1984, c. 147 // 2006, p. 93)
簡単に言うと、低次中枢の活動は高次中枢の活動(言語と密接な活動)の抑制的影響を受けているが、なんらかの原因で高次中枢の活動に不具合が生じると、低次中枢の活動には自立性がもたらされる。たとえば、酩酊すると、低次中枢の活動が活発になり、普段は見られない種々の言動が生じることがある(酩酊がさらに進むと眠り込むのであるが)。脳の外傷、精神疾患などによっても同様のことが起こる。これがジャクソンの層理論(成層理論)である。
ヴィゴツキーは、精神病理学においてもクレッチマーから、次のように、同様なことを取り出している。
ヴィゴツキーはここで低次機能と高次機能の複雑な関係のなかに発達を捉えている。彼は、とくに、神経系の領域と行動の領域における発達過程にもとづき、また、クレッチマーにも依拠しつつ、低次と高次の機能の関係を次の三つの点にまとめて、基本法則としている。
1. 神経系の高次中枢や高次の形成物が発達するにつれて、「低次の中枢や低次の形成物は、その古い機能の本質的部分を新しい形成物に譲り渡し、古い機能を上方へと移動させ」、そのことによって低次中枢によって行われていた適応の課題は、高次の段階で、高次機能によって行われはじめる(同上, c.346-7, p.143)。
2. その場合、低次中枢は、高次中枢によって駆逐されるのではなく、後者の従属機関として後者の制御のもとで作用しつつづけており、両者を総合して捉えなければならない(同上 , c. 346-7, pp. 143)。
3. 高次中枢が疾患や損傷によって機能的に弱まり低次中枢から切り離されたときには、この神経器官の一般的機能が停止するのではなく、低次中枢に由来する古い機能が自立的に働くことになる(同上, c. 346-7, p. 144)。 ヴィゴツキー『少年・少女の児童学』より
ジャクソンの層理論(成層理論)とクレッチマーの考え方はほぼ同じだと捉えてよいであろう。
II 概念の形成。ことばの変調と概念(意味)の崩壊
【概念の形成】
概念とは、もっとも広く捉えると、語の意味のことである。
そのもっとも低次なものは表象(あるいは共通表象)と呼ばれる。たとえば、松、竹、梅に共通するものは「木」であり、その「木」はこの場合、共通表象である。
これも一種の概念と言えなくもないが、概念には何らかの発展的な階層がある。その階層は、たいてい、学問の成果によって絶えず分類され直すことが多い。たとえば、鳥のなかには、シジュウカラ、ヤマガラ、ヒガラ、コガラなどの「カラ類」という分類(概念)があるが、学問の成果にもとづいて1つの分類が3分類になったようである。また、それとは別に、動物界全体の分類の仕方では、簡略化するが、「スズメ目」のなかの1つの小分類として「シジュウカラ科」が位置づけられている。こうした「スズメ目」「シジュウカラ科」「カラ類」などが、他の動物との関連を示しうる・より高度な概念である。
【失語症をめぐって】
①ことばの変調そのものの研究
言語学(音声学)の見地から失語症を考察し、言語の成層構造的発達と崩壊を明らかにしたものには、ヤーコブソンの『失語症と言語学』(服部四郎編・監訳、岩波書店、1976)がある。(具体的には、「幼児言語の音法則と、その一般音韻論における位置」1939年執筆、公刊は1949年、「幼児言語、失語症および一般音法則」1939〜1941年に執筆、1941年公刊、である。)
ヤーコブソンは幼児の発声・音韻の発達は世界諸言語に共通する母音・子音がまず形成され、その上に子どもの母語に固有な音声・音韻が形成される(例えばフランス語における鼻母音、その他の言語を含めて流音rとlなど)、と考え、失語症における言語崩壊は、その逆に、母語に固有な音韻から始まり、下の層に至り、もっとも重篤な事例では、「一音素、一語、一文」となる(これは幼児の場合の初語に該当する)。また、失語症患者の言語の回復過程は、幼児の言語発達を高速フィルムで見ているかのようである。こうして、幼児言語と失語症言語の双方がともに、音声発達の同じ成層(層状)構造を示している。
なお、ヤーコブソンは、音素はそれ自体では意味をもたないが、ことばの意味を表す言語音(価値音)の弁別的機能をもつ、として、音声・音韻を位置づけている。
成層(層状)構造としての言語(音韻)発達
服部四郎による解説「ロマーン・ヤーコブソン教授について」(上記『失語症と言語学』所収、p.179)より—「ヤーコブソンに従えば、幼児が音素を習得する順序は、どんな言語を習得する場合でも、共通でかつ一定している。たとえば母音ではa,i,u, 子音ではp,m,t,nが大体この順序で習得されるが、これらの母音や子音は、どの言語でも音素として持っている。一方、その言語に特有の音は、幼児も一番おくれて習得するという。さらに興味があるのは、失語症患者が一番先に失う音は、幼児が一番遅れて習得する音であり、幼児が一番先に習得する音は失語症患者においても一番後まで保存されるという。このようにして、幼児の言語音習得の研究や失語症の研究が、言語の音韻体系を支配する法則の研究に役立つことを明らかにした。」
ヤーコブソンは幼児言語と失語症患者の言語は「鏡の像のような関係」であり、層をなして発達し、層に沿って崩壊すると考えたのである。
イギリスの最初の失語症研究者ジョン・ヒューリング・ジャクソンの研究(おそらく「On affections of speech from disease of the brain」1879)からの示唆
「新しい要素はより以前のものの上に重ねられ、崩壊はより上層部から始まる。これはJacksonが、より複雑なものから単純で原初的なものへの退行現象に関する彼の法則として報告しているとおりである。」(前出『失語症と言語学』pp.65-66)
※ヤーコブソンは言語学者として発音に着目してそれを分析。狭い領域の分析だが、かえって問題の証明の説得力がある。
②概念と語との食い違い(錯語)
ヴィゴツキーが子どもによる語の獲得を特徴づけたことの1つに、子どもは一般的な意味の語から覚える、たとえば、まず「花」を覚え、のちに「バラ」を覚える、つまり、全体から部分へと進む、ことがある。この場合、かりに「バラ」を先に覚えた子どもは、その「バラ」を一般的な意味で、つまり「花」の意味で用いている。
脳内出血の後遺症で、「錯語」が見られた方がいた。リハビリテーションのなかで、鉛筆の絵を見て、「えんぴつ」と答えられるようになったこと人は、消しゴムの絵を見ても、「えんぴつ」と言ってしまう。本人は、それは「えんぴつ」ではないとわかっているのに、「えんぴつ」の語が口をついて出る。この時点では、この方の「えんぴつ」の語は「文房具」の意味で使われているかのようであった(ちょうど、「バラ」が「花」の意味で使われるときがあるのと同じように)。
③語の意味の変調と喪失(失認症)
・想像力の減退
どしゃ降りの雨を見ながら、「今日は天気が良い」と言えるかどうか。見ていることと意味との矛盾を敢えて作り出して、想像力を捉える。失語症のある人には想像力の減退が明らかとなる。
・失語症(ことばの崩壊)と知覚、意味
かなり離れた距離にある庭で掃除をしている庭師を見せて、「あの人は何をしているの」と質問。「棒を振り回している」との答えが返ってくる。この場合には、見たことの意味づけが喪失している。
III 統合失調症が示唆するもの①
【ヴィゴツキーの見解 理解の鍵になるのは「概念の発達と崩壊」】
統合失調症の心理学的研究においては、ヴィゴツキーは、精神医学が統合失調症患者の現実の意識の変化や人格の自己意識の変化にもっぱら関心を寄せ、思考形式の変化の研究を忘れていることを批判する。この思考形式の変化、さらに思考の形式と内容の相互関係こそ統合失調症を分析する機軸となるものであった。その点で、統合失調症患者の思考と原始的・古代的思考との相互関係に注目したシュトルフや、統合失調症患者の思考の形象とシンボルの豊かさ、直観的形式での心的体験の描写をその本質的特徴とするブロイラー(1857-1939)を踏まえつつ、ヴィゴツキーは自己の観点を切り拓いている。統合失調症は概念の崩壊をもたらし、思考形式としては概念的思考から複合的思考への後退をもたらす。それはちょうど、自己意識と概念の形成、それを中核とした心理システムの形成がなされていく13歳の危機以降の長期に亘る発達を概念の崩壊を軸に逆向きに後退させているかのようである。
ヴィゴツキーは、こうして、統合失調症に関する当時の理解を念頭において、(i) 現実の認識、(ii) 世界像の体験、(iii) 自己意識の分裂、の基礎にあるものこそ、概念(的思考)の崩壊であると考えたのである。
〔現代風に言えば、幻覚、妄想、まとまりのない発話、の基礎にあるものが、概念の崩壊だということができるであろう。〕
【発症年齢】
村井俊哉『統合失調症』岩波新書(2019/2020=電子書籍版)第1章によれば、発症年齢は、男女で多少の違いがあるが、もっとも早くは10歳すぎ〔およらく13歳の危機に該当〕であり、15〜25、30歳がピークである。つまり、健常発達として考えれば、思考形式においては概念形成の時期にあたる。
さらに他の精神疾患と比較してみると、自閉スペクトラム症はそれよりも早い時期(幼年期・児童期)に顕在化し、他方では、認知症(とくにアルツハイマー病)は老年期に発症する。(また、鬱病、躁鬱病の発症は、30歳くらいが平均的であるものの、中学生から高齢者まで様々な年齢で発症すると言われている)。こうして、大きく考えると、概念形成の時期に発症する精神疾患は統合失調症なのである。
※精神分裂病(今日では統合失調症)という呼称より前には、最初は「早発性痴呆(早発認知症)」と呼ばれた(クレペリン)。「支離滅裂な妄想」を特徴とする「早発性痴呆」を念頭において、ヴィゴツキーは概念の崩壊を統合失調症の中核としたのではないか、と考えられる。
【村井『統合失調症』の初発事例より】(プライバシー保護のために部分的に創作されている)
(本人談を構成しなおしたもの)「振り返ると、去年12月ごろから、クラスの同級生の話し声が自分のことを言っているのではなかとなんとなく気になりだし」、「2月ごろから、家にいても数名の人が自分の行動についてひそひそ話しているような声が聞こえるようになり」〔幻覚、この場合は幻聴〕、「そうした声が6月に入ってますます頻繁になるようになり」、「なぜかはわからないけれども、自分のことが皆に知れ渡っていて、例えばTVでも自分のことを言われているような気がするようになっていた」〔これは妄想〕。
IV 統合失調症が示唆するもの②
統合失調症のそれ以外の特徴には次のようなものがある。
【身体的原因が不明】
精神疾患のうちで、統合失調症と躁鬱(そううつ)病は、たいてい原因が不明だと言われる。その場合の原因とは身体的原因、とくに脳内の原因のことである。ごく最近のニュースで報じられているように、日米の製薬会社が、アルツハイマー病(認知症の一種)の原因物質に直接に作用する新薬を開発し、アメリカのFDA(食料医薬品局)によって承認された。その報道によれば、神経細胞を破壊する脳内の異常なタンパク質(アミロイドβ)に直接に作用して減少させる効果が認められた、とのことである。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210608/k10013072991000.html
以前には脳の萎縮と把握されていたが、その萎縮をもたらすのは、このタンパク質(アミロイドβ)が脳内の神経細胞を破壊するからであり、アルツハイマー病の原因物質とはアミロイドβであると考えて間違いない。このような原因物質がまだ発見されていないのが、統合失調症や躁鬱病なのである。
【アメリカ精神医学会の診断基準(DSM-5)より】
村井『統合失調症』第2章には症状が次のように紹介されている。
1 妄想、2 幻覚、3 まとまりのない発話、4 ひどくまとまりのない、または緊張病性の行動、5 陰性症状、が統合失調症の症状とされ、そのうち、1〜3のうち一つの症状があることが必須であること、あるいは、1〜5のうち二つがあることが必須である、とされている。
純粋に心理的なものをあげれば、1〜3に該当するが、ヴィゴツキーの考え方を敷衍すれば、3の「まとまりのない発話」のおおもとには「概念の崩壊」があり、概念形成が少年・少女期以降の人間発達の中心に位置すると考えると、形成されてきた心理システムそのものの崩壊に導かれることになるであろう。したがって、「妄想」「幻覚」もそうして登場するものの一環であると考えることができる。
「妄想」も「幻覚」の発生の条件は、自他の区別の曖昧さであろう。すでに述べたが、混淆、融即、同一化という、概念形成にともなう自他の区別が曖昧化することは、精神疾患でなくともありうる。「気を失う」という状態ではないが、「我を失う」という状態である。普段ならば合理的な判断をできる人でも、情動が勝ち過ぎると、判断不能に陥ったり、普段では考えられない判断をすることもある。これは、心理システムの一時的、部分的崩壊のケースと考えられるであろう。
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