〔2021/07/26〕第15回 社会的実践と個人―対話について⑥ 「危機的事態と対話」

 〔2021/07/26〕第15回 社会的実践と個人―対話について⑥ 「危機的事態と対話」


《お知らせ》

◯この科目の評価ですが、これまでに提出していただいた「授業コメント」をいわゆる「期末レポート」と見なして、評価いたします。したがって、学期末に追加でレポートを課すことはしません。

◯この講義に対する受講者によるアンケートは最終週にアクセスし、提出してください。

◯この授業の講義メモ、皆さんの事後のコメントのいくつかは、

https://kyouikugenron2021.blogspot.com/

に掲載します。このブログを読むためには、タブレットやスマホでアクセスするか、それよりも望ましいことですが、事前にパソコンから印刷してください。

◯毎回、読了後に皆さんのコメントをメールで送付してください。

 送付先のメールアドレス、締切、送信上の留意点は以下の通りです。

bukkyo.bukkyo2017@gmail.com

 編集の都合上、水曜日の18時までに送信してください。

 「件名」には必ず、学番―授業の日付―氏名 を明記してください。

 また、コメントは添付ファイルではなく、メール本文に書いてください。

 なお内容的には、

①新たに発見した事実〔一つで結構です〕とその考え方、

②それについての従来の自分の考え、

③自分にとっての「新しさ」の理由、

 を含んでいるのが望ましい。

 また、講義メモを読んで、質問したいことを書いてください。


《前回の講義コメントより》

※オープンダイアローグの意味について

 今回新たに発見した事実は、「オープンダイアローグ」が四つの意味での解放=自由であると意味づけられているということだ。

 私は今まで精神療法で「オープン」という言葉が使われていることすら知らなかったし、当事者だけでなく家族にも使われるということに驚いた。今回の講義でオープンが自由と結びつくほどクライアントの辛さや我慢がより感じられた。

 四つの「オープン」が使われている文章を読んで、身体的な苦痛だけではなく精神的苦痛にもある患者本人が自由を取り戻すことが技法として取り上げられているのだと学んだ。精神療法には当事者だけでなく家族へのケアもあることは理解していたが、それらを治療者として見なすのではなく対等な関係であること、「感情の共有」をすることはすごく大切なことだと感じたことが今回新しいと考えた理由である。

※精神療法と当事者、家族、医療チームの感情

 私が新たに発見した事実は、精神療法において当事者や家族の感情が大切になってくることである。これはその人たちが対話を自由に受け入れていくためであり、治療チームも対話の内側に身をおく必要があるという考え方である。感情をほぐしたりすることは大切であると思うが、どのような意味や効果があるのか考えることができなかった。しかし、当事者や家族が対等な存在と見なし、感情がほぐれ、リフレティングにおける対話で内的会話を引き起こすことや、感情の共有体験で当事者のことを捉えることができるというところにが新しさを感じた。

※精神療法と集団

 私が今回新たに学んだことは、精神疾患における「オープンダイアローグ」ということばを通した治療法である。この精神療法の特徴はカウンセラー・精神科医と当事者との1対1の関係のなかでの治療ではなく、当事者とその家族という「集団」が主体となることである。

 私はこれまで、精神疾患の治療と聞くと、1対1の関係の中で治療をする印象が強かった。

 しかし、「集団」が主体となり解放的で自由な対話ができることによって、当事者の内的対話を引き起こすことができたり、当事者・家族・医療チームのことばや感情の共有が広がり、治療に良い効果をもたらすことが分かった。

※オープンダイアローグと「対等な関係」

 今回の講義においての新しい発見は、オープンダイアローグと感情に関する記述についてである。特に「当事者や家族を治療者と見なすのではなく、対等な関係とみなす」と述べられていたことが、自身にとって新しい視点であると感じた。

 私はこれまで専門職として援助する側と、援助される側という関係性に縛られた考え方をしていた。しかし今回の講義を通して、当事者やその家族を対等な関係だと見なし対話を行っていくことで、利用者の感情がほぐれ対話を受け入れやすい状態になっていくということを、再認識することができた。

 そしてただ支援を行うだけではなく、専門的な関わりを通して利用者の内的会話を促したり、対話を受け入れやすくなるように働きかけるという、専門職にとって重要な視点についても新たに気づくことができた。これが自身にとっての新しさの理由である。

※外的対話と内的対話の循環

 今回の講義で私が新たに発見した事実は、対話主義というものは対話者相互の外的対話が各人の内的対話を引き起こし、そしてその内的対話がより発展した外的対話の動機になるという、外的対話と内的対話との循環的関係を特徴としてあることだ。これまでの私は対話というものは相手との対話である外的対話で成り立つものだと思っていたが、実際には自分の質問に自分で答える内的対話から外的対話に繋がってコミュニケーションが出来上がることが分かった。自分の想いに自分で気づく力が対話にとって重要であると考えた。

※質問

 「知の働き」とはどういう意味であるのでしょうか?

 〔感情がほぐされた上で、幻覚や妄想がなぜ生まれているのかを当事者が知ることは知の働きによるでしょう。たとえば、何らかの現実の精神的抑圧、その現れとしての夢から、幻覚・妄想を理解するのは知の働きでしょう。〕

 統合失調症の治療において傾聴が薬物治療と同じように行われていることを知ったが、命の危機が迫った時に大切な人の声掛けや存在が力を与えるというようにことばの力によって回復へ導かれるという事例は精神疾患以外にもありうることなのか。

 〔生命の終わりの時期に人の声によって蘇ることがあると考えることはできないでしょう。しかし、安らかに眠ることはできると考えられます。〕


《講義メモ》

はじめに

 前々回、前回と、教育や精神疾患の治療における対話について述べてきた。それと比べて、今回扱おうとするのは、災害(1995年1月17日の関西・淡路大震災と、2011年3月11日の東日本大震災など)や政治的働きかけについてである。わが国のこの領域においては、対話はまだくっきりと姿を表していない。もちろん、念頭に置いているのは、創造的思考が生まれてくる対話のことである。

 対話が、くっきりと現れていないとはいえ、危機的事態のなかでのすぐれた取り組みには、対話の要素がふくまれている。それを丁寧に拾い上げることが求められる。これは、私にとっては、最初の試みである。

 ところで、昨今、危機管理という言葉が流布し、危機管理の中枢が行うべき行動が説かれている。たとえば、最悪の事態の想定からはじまり、目標や行動の明確化、広範な人々とのコミュニケーションなどである。そこには、対話をどう位置づけるのかという視点は希薄である。それでよいのかどうか。


I 災害と復興のパラドックス―復興災害論

 まず、阪神・淡路大震災(1995年)の事例をとりあげてみよう。

【復興政策が災害をもたらすというパラドックス】

 塩崎賢明『復興〈災害〉―阪神・淡路大震災と東日本大震災』(岩波新書、2014年)という本がある。何気なく読めば、ごく普通のタイトルに思われるのだが、眼を凝らして見ると、かなりパラドキシカルなタイトルだ。自然災害からの復興が〈災害〉をふたたびもたらす、という意味である。

 兵庫県が提起した中心的概念は「創造的復興」、つまり、震災以前の元の状況に戻す復興ではなく、それよりも優れた復興だと言うのである。塩崎は、①復興事業費、②復興公営住宅、③復興都市計画事業、④被災者の生活・営業再建、⑤震災障害者、の問題を分析している。それらの分析のうち、ここで言われる「創造的復興」を特徴づけるものをピックアップしてみよう。2010年時点(大震災後15年)で復興に投じられた資金は全体で16・3兆円(p.4-5)、それを「復興計画事業」の3分類に大まかに分けてみると、(i) 復旧・復興事業(大震災の被害の復旧、被災者救済、被災地復興を目的とした事業)、(ii) 防災事業(今後の防災を目的とした事業)、(iii) 通常事業(震災前から実施されていた事業、震災がなくても実施する事業、震災と直接関係しない事業)のそれぞれにおいて、(i) 10.8兆円(67%)、(ii) 1.6兆円(10%)、(iii) 3.8兆円(23%)が、投入されている。

 そのうち、(iii) には巨大開発プロジェクトが含まれ、本州四国連絡道路、神戸市地下鉄海岸線建設、関西空港第2期埋め立て、神戸空港建設が取り組まれた。これらが「創造的復興」の目玉とされているが、同時に、膨大な赤字が県民・市民にのしかかってきたことが、「復興災害」の象徴ともなった。

 したがって、「創造的復興」という概念には、警戒的な注意を払うべきなのである。

【反面教師としての「創造的復興」論】

 上記の巨大プロジェクトの赤字に加えて、塩崎は阪神・淡路大震災後の生活にかかわる問題を指摘している。そのいくつかは、以下のものである。

◯復興公営住宅

 復興公営住宅の最大の問題はコミュニティーの破壊であった。神戸大塩崎研究室の調査によれば、住民によるハコ物(施設・設備)の評価は高いものの(「新しくてきれい」「風呂があり銭湯に行く必要がない」「段差がなく手すりがついていて安心」「日当たり・風通しがよい」「鉄筋コンクリート造なので安心」などp.10)、コミュニティーの希薄化、高層化による孤立が大きな問題点となった。「付き合いがあり楽しい」「近所皆知り合いで楽しい」が、震災前には7割程度、震災後の仮設住宅の場合には5割程度、復興公営住宅の場合には25%程度である(p.11)。また、復興公営住宅は65歳以上人口が48%、単身高齢世帯率42%(p.10)がそれらに加わって、いわゆる「孤独死」が問題化した。

 これ以外にも、いわゆる「借り上げ公営住宅」の値上げ、退去の問題などもあるが、これについては、前記『復興災害』pp.29-39を参照されたい。

◯新長田駅南地区再開発

 これは被災者の生活・営業における「創造的復興」が逆に被災者を苦しめていることをよく表している。被災者の土地を市が面として買い取って、再開発ビルを立て、そこに新たに入居させる、というものであった。しかし、震災前よりも経費がかさむことや客を呼び込めずにシャッターをおろした店舗が目立っている。

 前記『復興災害』には、この再開発ビルに入居しつつも廃業を決断せざるを得なかったAさん(誂〔あつら〕え婦人服のお店を経営)の「市長への手紙」の要旨が載せられている(pp.45-46)。

 「A4版3ページにびっしり書かれた『手紙』には、再開発の現状と自らの苦境を訴えている。再開発ビル入居までの経緯、新長田地区の現状、廃業への決意、事業の精算へ、不公平な神戸市の管理などの項目について述べられている。以前からこの地で商売をしてきたA氏の震災前の資産評価額は1797万円であったが、再開発ビルの床の購入価格は2240万円で従前資産の額だけでは足りず、さらには、内装費や運転資金も必要なことから、計1500万円の借金をしてビルに入り、店を開いたという。しかし事業未完成のまま街は活気がなく、人通りも少なく、採算割れが続き、とうとう資金が底をつく。結局、営業を断念し、廃業の決心に至る。しかし、借金は残ったままなので、店舗を売却して精算しようと考え、不動産屋にもちかけたところ、『売りに出しても売れない』という。再開発ビルの資産価値は極端に下がっており、値がつかないというのである」。

 再開発ビルにもともと資金的に入れなかった人も、なんとか入った人も、「地獄」だった、ということであろう。ちなみに、2007年12月の神戸市資料によれば、新長田の再開発事業は313億円の赤字である(前記『復興災害』p.44)。

※自然災害から復興には、復興計画を立案する中枢はたしかに必要である。しかし、「創造的」の美名のもとに住民の利益とならない開発がなされている。もし、そこに行政担当者、専門家、被災当事者のあいだでの対話があるなら、つまり、そのなかで真の創造的思考が働くなら、上記のような不利益は生じなかったであろう。その対話の具体的様相は、子どもとの対話、治療的対話と異なるものとなるであろうが、それは残念ながら阪神・淡路大震災からの復興のなかでは見つかりそうもない。

※なお、昨今では、スーパーシティ、スマートシティということが叫ばれているが、これも「創造的」開発と同様の問題をはらむことが感じられ、対話がどう位置づけられているかが、ここでも焦点であろう。


II 地域復興の経済学と「人間(性)の復興」について

【地域内再投資力と地域住民主権】

 ここで取り上げたいのは、地域づくりに欠かせない地域経済学の成果として、岡田知弘が提起した「地域内再投資力」と「地域住民主権」の考え方である。時期的には阪神・淡路大震災以降、また、東日本大震災以前の2005年にまとめられたものである(岡田知弘『地域づくりの経済学入門―地域内再投資力論』自治体研究社、2005年)。

 ある地域が持続的に発展するためには、その地域内にある経済主体(地方自治体、民間企業、農家、協同組合、NPO)が投資によって商品と労働力を購入し、利益をだして、その資金が還流してくる、それをふたたび、地域内で投資することができる、ことが必要であり、これを岡田は「地域内再投資力」と呼んでいる(前出、p.138〜)。岡田はこれを大分県由布院や長野県栄村をはじめ各地の経験を一般化して構想したのである。

 これを、いわゆる企業誘致やグローバル企業と比較してみると、それらが「地域内再投資力」や「地域内経済循環」とはまったく異なっていることがわかる。ある地域に大企業が誘致されても、その地域になる材料が用いされるとは限らない。またユニクロのようなグローバル化している企業は、より安い労働力を求めて、次々と生産国を変更している(中国の一帯一路構想では、各国のインフラ整備の労働力は中国からのものであり、インフラ整備をする国の家計は潤わない、という点で、特殊なグローバル企業戦略であろう)。少しだけアスペクトはずれるが、外国人観光客だのみ(インバウンドだのみ)の商売も、いまのコロナ禍において、その破綻が目立っている。「地域内経済循環」の観点が必要となろう(大阪の黒門市場はインバウンド頼みではいけないと以前からの地域住民の客層を呼び戻すための工夫を行おうとしている。ワンコインデーなど)。

 また、このような「地域内再投資力」「地域内経済循環」を軸にした「地域づくり」を構想するためには、前掲書が書かれた頃の「平成の大〔町村〕合併」のなかで各地で行われた「住民投票」に留意しつつ、岡田は「地域住民主権」の考え方を打ち出している。しかし、ここで重要なのは、岡田の「地域住民主権」の考え方は、実は、東日本大震災後の現地調査を経て、より深いものとなったことである。

【「人間の復興」さらには「人間性の復興」】

 政府の東北復興方針も、阪神・淡路大震災と同様の「創造的復興」であった。そのため、政府方針にもとづいて復興を構想する地域もあれば、神戸などの視察で散見される復興の問題点を克服しようとする地域もうまれている。そういう状況のなかで、岡田は、東北の多くの被災地での聞き取り調査をおこない、とくに、上記「地域内再投資力」の経済主体の一部である中小企業家の「自己変革」から多くのことを学び取っている。

 関東大震災(1923年)の折に、「建物や道路の復旧を優先した政府の政策を批判した福田徳三(東京商大教授)の「人間の復興」論」、つまり「震災復興において最も大事なのは人間の復興である。道路や建物が復興したとしても、そこで人々の生活が復興しなかったら、何の意味もないのだ」(『復興経済の原理及若干問題』同文館、1924 年)という主張を肯定したうえで、岡田はそれを更に深める「人間性の復興」論とでも呼ぶべきものを発見した。すなわち、「人間の復興」の内的原動力となるものを見出し、それがなければ「人間の復興」も「地域の復興」もないというようなものを「人間性の復興」と呼んだのである。ここにおいて、経済学はとうとう人間の内面の洞察に向かったのである。

 被災者は、毎日配給される弁当を食べることで生命体として生き続けたとしても、「人間として」生きたことにはならない。ある社長は社員は一緒に避難生活を送りながら、社員や社長仲間と共同で「気仙沼の種を植え、育てる」会社を設立する。「何もしないことほど人間にとってつらいことはない」という気持ちと、気仙沼で再生することに確かな価値と目標、生きがいを見出し、それを地域再生、企業再建に向けた大きなエネルギー源にしたのである。陸前高田のある社長は、震災直後、経営理念を「生きる 暮らしを守る 人間らしく生きる」という言葉に凝縮し、社員と共有しながら幾多の障害を乗り切ってきた。また、福島県浜通りの経営者たちのなかには、価値観を変えた人が多い。お金があっても店が閉まったり、破壊された場合、何も買えないことを痛感し、地産地消や平時からの取引、地域内経済循環の取組の重要性を自覚し、「生存の条件」の再構築めざして地域で実践しはじめている経営者が何人も存在している。

 残念ながら、こうした人間の内面に生じた「自己変革」のプロセスがつぶさに書かれているわけではない。だが、おそらく、そこには対話があり、対話と結びついた内的対話があったに違いない。この場合、生死にかかわる辛い体験がそのプロセスを動かしたのであろうが、平時においても、対話と内省がそうしたプロセスを創り出すであろう。そして、「地域住民主権」は、「人間性の復興」によって、すなわち、対話がうみだす内的対話(内省)によって強化されるであろう。

 上記の「人間性の復興」については、岡田知弘「震災被害地から学ぶ --東日本大震災被災地を訪ねて--」『資本と地域』13号(2018)pp.50〜51を参照のこと。


III 危機管理と対話

【東日本大震災における津波避難】

 釜石の奇跡とまで言われた「小中学生の津波避難」は、実は、安全教育の成果であることを、説得力をもって書いているのは、片田敏孝「小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない―「想定外」を生き抜く力」(2011年4月22日)である。まず、東日本大震災後1か月あまりで書かれたこの記事をじっくり読んでほしい。

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/1312?layout=b

【この場合、対話の要となるもの】

 この記事のなかでは、事前に取り組まれていた防災教育のなかに、対話や内的対話(内省)に繋がるものがいくつか含まれているように思われる。

(i) 死者の声に耳を傾ける。釜石の小中学生は津波で5名が亡くなった。片田は、その一人ひとりから防災教育は学ばなければならないと考えている。まだ足らないところがあり、死者の声はそれを教えてくれる。

(ii) 「これで、あなたのお子さんの命は助かると思いますか」。片田は最初の防災教育を振り返っている―こうして津波防災教育が始まったのは06年。最初に行ったのは、子どもへのアンケートだ。「家に1人でいるとき大きな地震が発生しました。あなたならどうしますか?」と質問した。ほとんどの回答は、「お母さんに電話する」「親が帰って来るまで家で待つ」というものだった。私はそのアンケート用紙に、「子どもの回答をご覧になって、津波が起きた時に、あなたのお子さんの命は助かると思いますか?」という質問文を添付し、子どもたちに、家に帰ってから親に見せるように指示した。

(iii)「ハザードマップを信頼するな」。ハザードマップは、過去の経験にもとづいて作られている。たとえば、◯◯年の水害ではここまで水没した、というような具合である。片田の主張は、ハザードマップで一応安全とされる場所や避難場所が絶対的に安全とはいいきれない。たえず、その場で、より安全な場所を模索しなければならない、という点にある。海に近い釜石東中学校と鵜住居(うのすまい)小学校の子どもたちは一緒に避難所(ハザードマップに書かれた)に辿り着いたが、ここでも危ないと自分たちで判断し、さらに高台に逃げて、命を守ったのである。


おわりに

 今回述べたことは、震災時のみにあてはまるのではなく、現在のコロナ禍においても、また、平常時においても、対話の重要性という意味で、あてはまると考えられる。この15回に亘って述べてきた(書いてきた)ことが、皆さんの内省の手助けとなれば、幸いです。


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